彼女の選択

「閉じ込められたね」
「そのようですね」

分厚い鉄の扉に手をかざし、二人は呟いた。

窓はなく、あたり一面真っ白な部屋のようだ。
部屋の隅には小さな机と椅子があり、机の上には小さな瓶が置かれている。
そして、その隣には一丁のピストル。

リリス王国の王子ということもあり、何度かロイスは危険な目に遭っていた。
どうやら二人共この状況に慣れているようだ。

「ロイス様。ここに封筒が」

瓶の側に白い封筒が添えてある。
ロイスが目で促すと、クローカが淡々と読み上げた。

「この部屋は三時間後には扉が開かれますが、一時間後に毒ガスが撒かれ、その毒ガスを吸った人は一定時間後に死亡します」

「予想通りだけど、穏やかじゃあないね」

くすくすと笑いながらロイスは小瓶を手に取った。

「笑い事ではありません。ーーそして部屋には解毒剤が一人分。ピストルには弾が一発」

「なかなか汚い手を使う人だね。誰の仕業かな?」
「一国の王子ですから」

電灯に小瓶を透かすと、キラキラと輝いている。
まるでこの小瓶が生きる希望と言わんばかりに。

クローカなら、きっと自分の命を助けるよう全力を尽くすだろう。
ロイスは確信していた。

クローカの顔を見ると、思った以上に落ち着いている。
その様子を見たロイスは、少しは焦ってもいいのに…と言いたげな表情をしている。

そろそろ一時間が経とうとしている。

「ロイス様。少し…賭に出てもよろしいでしょうか」
「君らしくないね。どんな賭なんだい?」
「鍵を破壊します」

「…穏やかじゃあないね」

ピストルを手に取り、狙いを定める。
青く澄んだ瞳の先には、小さな鍵穴が映っていた。

破裂音のような、爆発音のような轟音が響いた。
その直後、金属の衝撃音がしたが…。

「申し訳ありません。破壊できませんでした」
「そうみたいだね」
「責任は取ります」

クローカは少し溜息をついて、ロイスの淡い瞳を真っ直ぐに見つめた。

「ロイス様はこの解毒剤をお飲みください」
「クローカ…!」
「時間がありません。早く」

「君を見捨てることはできない」
「何を仰っているのですか。貴方はリリス王国の王子ですよ?」

言い争っているうちに時は過ぎ、時間は残り僅かとなった。

「分かったよ…」

ロイスが折れた。
小瓶の栓を開け、中身を見つめる。

ークローカのいない人生なんて、考えられない。

「ロイス様…お早く…!」

毒ガスが撒かれ始めた。

確かに自分は一国の王子だ。
しかし、リリス王国と同じくらい…いや、それ以上に自分にはクローカが必要だ。
王子になんて生まれなければ、何も心配せず彼女の側に居られるのに…。

…王子。
そうだ、王子…?

何かに気付いたような顔をして、一気に小瓶を煽った。

それを見たクローカは安堵の表情を浮かべている。
これでリリス王国は救われる、と。

一方ロイスは思いつめた表情でクローカに近づく。

近づいて、近づいて、互いの睫毛が触れ合う距離になった。

「ロイス様…?」

少しだけ戸惑い、クローカが名前を呼んだ。
その瞬間。

ロイスの唇がクローカのそれに触れた。
クローカの薄い唇をこじ開けると、少し暖かい液体が流れ込んでくる。

クローカが目を白黒させているうちに
ロイスは少しだけ離れた。

「どうして…こんなことを…」

足元をふらつかせながら、クローカは尋ねた。

「君にも、生きていて…欲しいから…」

ロイスもまた足元が覚束ない様子で、クローカを抱きしめようと手を伸ばした。

しかし、その手は空を切った。

クローカが倒れたのだ。

「流石に…少し、キツイな」

ロイスもクローカの隣に膝をついた。
段々と意識が遠くなる…。

クローカが目を開けた。

先程と変わらぬ白い部屋。
毒ガスはもう抜けているようだ。

ずきずきと痛む頭を押さえながら、天井を見つめた。
焦点が定まらず、見ているような見ていないような奇妙な感覚が彼女を襲う。

「ロイス様…」

掠れ声でロイスを呼ぶが、返事はない。

(まだふらふらする…。ロイス様は、どこへ…?)

ゆっくりと頭を上げた。

「……ロイス、様?」

ちょうどクローカと背中合わせになるようにロイスは倒れていた。
苦悶の表情を浮かべているが、吐息の音は聞こえない。

気を失っているのだろうか。
それとも…。

信じたくはないが、状況から見るに後者であろう。

「まさか…そんな……」

思わずロイスの頬に触れる。
普段は薔薇のように華麗な笑みを浮かべる彼の顔。
今は氷のように冷たい。

「ロイス様?目をお覚ましください」

揺り起こそうとしても、その冷たさは変わらない。

私を助けようとしてあんなことを?
ロイス様をお守りするのが私の役目。
ロイス様がいない日々なんてありえないのに。
なぜ?どうして?

疑問符ばかりが頭をよぎる。
気が動転していることが、自分でも分かる。

ロイス様をお守りできなかった。
約束を守れなかった。

もっとロイス様と大陸を旅したかった。
もっとロイス様と一緒に居たかった。

ロイスを守るべく、冷徹を貫いてきたクローカの頬を一滴の雫が流れ落ちた。

「ロイス様がいないと、私…生きていけません…」

心からの言葉も、涙とともに溢れた。

ロイス様を置いてリリスに一人で帰ることなんてできない。
帰ったところで処刑されることは目に見えている。
もしくは、「王子を殺した女」と呼ばれるだろう。

そんなことより、もうロイス様のお側には居られないのだ。

「私が留まる理由はありません」

きっと私に生きて欲しいと薬を飲ませたのだろう。
私がそんなことできるはずがないとご存知のはずなのに。

「どこまで女性第一なんでしょうか、この方は」

くすりと微笑み、意を決してブラウスの中に手を入れた。
胸元から取り出したのは、先ほどの解毒剤と似た形をした小瓶。

「ロイス様、お待たせいたしました」

ガラスの栓を抜いた。
彼女の髪のように黒く輝く液体が煌めいている。

「間もなく参ります」

口元に小瓶を傾け、中身を飲み干した。

中身は、即効性の毒。
飲めばたちまち死に至るものだ。

再びクローカは崩れ落ちた。

「これで…また、お側にいられます…」

ロイスと向かい合わせになるよう、力を振り絞って体の向きを変える。

(あぁ、もう…すぐ…)

最期の力を振り絞り、ロイスの唇に自身の唇を重ね合わせた。

「ロイス様…愛しています…」

クローカの言葉は、誰にも聞こえないまま溶けて無くなっていった。