リリスの名月
中秋の名月。
雲上帝国では、ススキの穂や団子を飾り、美しい月を眺めながら短歌と呼ばれる詩を詠むそうだ。
「コーデグランプリの準備や運営で城に籠もりきりだったし、流石にこの日は雲上に行こうよ」
「ダメです」
予想はしていたけど、即答だった。
仕事熱心な彼女のことだ。当然の回答だろう。
いつもなら、城をこっそり抜け出してちょっとした追いかけっこを楽しむんだけど。
コーデグランプリ中はいつも以上に様々な国から人が来るから、姉上の護衛や補佐の意味で自分は必要となる。
リリス城から出ることはまずできない。
「弱ったな、クローカと雲上の名月を見たかったのに」
ため息交じりに呟いてみたけれど、クローカの返答はなかった。
雲上の月夜は大陸でも有名だ。
秋は殊更に美しく、リリスにも憧れを持つ女性は多い。
そういえば、雲上の月見のことはリンレイから聞いていたな。
空の月を眺めることもあるけれど、池に映る月を眺めるのもまた風流なのだと。
部屋から見える湖でもいいかもしれないな。
月も映るし。うん。
団子やススキは無いけれど、リリス流お月見ってことで。
そうと決まれば早速パティシエに声をかけてみよう。
夜だからぐっすり眠れるハーブティーと、秋のフルーツを楽しめればいいかな。
いや、酔ったクローカはとっても可愛いからワインとドライフルーツにしようかな…。
クローカとのお月見のことを考えながらパティシエの控え室に向かうと、
首相秘書のジェーンが見えた。
とても嬉しそうな顔で、大きな箱を抱えている。
「おや?ニーズヘッグのうさぎさんじゃないか。そんなに嬉しそうにどうしたんだい?」
「あ、ロイス殿下。これは、首相…あ、いえ、なんでもありません」
少し頬を赤く染め、
大事そうに箱を抱きしめながらジェーンは答えた。
きっとニーズヘッグ絡みの何かだろう。
今日は中秋の名月だし、パティシエの控え室からパタパタと出てきたということは
彼女達もお月見をするのだろう。
「あ、あの…首相からは、誰にも言ってはいけないと言われていまして…。どうかご内密にお願いいたします」
やっぱりニーズヘッグとお月見だな。
口止めされてるなんて言わなければ良いのに。
「あはは、分かったよ。君と僕だけの秘密だね」
じゃあね、とジェーンに手を振って、改めてパティシエの控え室に向かった。
「というわけで、クローカとお月見をしようと思うんだ。お酒とハーブティーならお酒のほうがいいかな?」
「そうですね。リリス流お月見であれば趣向を変えてカクテルなど如何でしょう?」
さすが昔から付き合いのあるパティシエ。
ちなみに彼はお菓子だけじゃなくてお酒にも詳しいよ。
「そうだね、クローカにはブルームーンをお願い。僕はそうだな…いつものでよろしく」
「かしこまりました。お呼び頂ければお持ちしますよ」
軽くウインクしながら答えてくれた。
本当に、彼には何でもバレてるんじゃないかな…。
コーデバトルの会場に戻ると、クローカが控えていた。
「ロイス様、いつもより楽しそうですね」
「あれ、バレちゃったかな?」
ジェーンほどではないけど、僕も結構顔に出るのかな…。
そうしているうちに、コーデグランプリの準備は滞りなく終わった。
ニーズヘッグも今日は何だかハイスピードだったな…。
「ロイス様、お疲れ様でした」
「ありがとう、部屋に戻ろうか」
この時期だけはクローカも僕の部屋で過ごしている。
女性だから別の部屋がいいんだけど、何かあっちゃいけないからね。
食事も済ませ、少しずつ話題をお月見にシフトさせよう。
「リリスの月も綺麗だね。明かりを消してみてもいいかな?」
「承知しました」
意外と月明かりが明るかった。
クローカが優しい光に照らされて、髪が夜空の色に煌めいている。
「本当に、綺麗だ…」
思わず呟いてしまった。
月のことだって思われてるといいな。
いや、それもそれで少し寂しいんだけど…。
窓から月を眺めていたクローカが、こちらを振り向いた。
瞳の青は、月光と同じ優しい青い光をたたえている。
「本当に、美しい月ですね。久しぶりにこうして眺めた気がします」
「そうだね…」
いつもと同じ格好のはずなのに、月に照らされたクローカは本当に綺麗だ。
おっと、パティシエに頼んでいたカクテルを届けてもらわなくちゃ。
「ちょっと軽く飲み物でもどうかな?」
「珍しいですね」
月がよく見える場所に小さなテーブルを置き、パティシエを呼んだ。
持ってきてもらうのがカクテルなこともあり、バーテンダーのコーディネートをしている。
さすがだ。
「ブルームーンでございます」
クローカの前に差し出されたのは淡いブルーのカクテルだ。
「ありがとうございます」
パティシエに声をかけたクローカは、少しだけブルームーンに口をつけた。
「月の光に香りや味があるなら、きっとこのような感じなのでしょうね」
クローカが少しだけ微笑んでいる。
その表情を見て安心したパティシエは、僕のグラスにブランデーを注いだ。
「殿下はいつもの、でよろしいですね」
「うん、ありがとう。今日はもう休んでいいよ」
パティシエが部屋を後にした。
「ほらクローカ。湖にも月が映ってるよ。綺麗だね」
「ええ、風に少しだけ湖面が揺れて…空に浮かぶ月とは違う表情をしていますね」
「子供の頃はこうして2人で月を見ながら色々話したっけ」
「ああ、ロイス様は城を抜け出そうとしてよく先王様にお叱りを受けていらっしゃいましたね」
あの頃と変わっていませんね、とクローカは少し笑いながら話した。
ブルームーンの効果は覿面みたいだ。
クローカは酔うと笑ってくれるようになる。
いつか二人、雲上帝国の月を眺められればいいな。
僕だけそう思っているのだろうか。
クローカも同じように思ってくれるととっても嬉しいんだけど。
ちらりとクローカを見ると、微笑みを浮かべてブルームーンを楽しんでいる。
「こんな日がもっとあればいいのに」
そっとクローカの手を取って呟いた。
いつもなら払いのけられるだろうけど、クローカは僕の手を取ってふわりと笑った。
「ええ、私もそう思っていますよ。ロイス様」
そう僕に告げると、彼女は目を閉じすやすやと寝息を立て始めた。
…本当に、こんな日がもっとあれば良いのにな。