Snow globe

[chapter:I]
「首相、見てください!街がキラキラしています」

私の隣を早足で歩く秘書は、目を輝かせて辺りを見回している。

彼女に普段身に纏っているリリス王国の制服の上にノーザンから取り寄せたコートを着せてみると、冬毛のウサギのようにふんわりとしたシルエットになった。

与えて正解だったなと、思わず口元が緩んでしまう。

「そうだな。ハロウィンもそうだったが、リリスは街全体をメルヘンにコーディネートするのだな。雪も降らないし、よく似合っている」

ノーザンのクリスマスは雪に覆われてしまうため、部屋の中で家族と過ごす日、という側面が強い。
その分、ここリリス王国のクリスマスは珍しいものだった。

私の言葉に反応して、秘書は嬉しそうにこちらに目を向けた。

「ありがとうございます。私もクリスマスのリリスは特に大好きなんです」

故郷でもあるリリスを褒められ、心の底から嬉しそうだった。

今日からクリスマスの翌日まで、リリスのファラウェイではクリスマスマーケットが開かれる。
普段はロイス殿下がオープニングセレモニーでスピーチをしているが、今年は私が行うことになった。

「すまない、ニーズヘッグ。今年は王都を離れられなさそうなんだ」

殿下には珍しく、心の底から申し訳なさそうな顔をして私に頼んで来たのは2日前。
雑務を済ませ、秘書のジェーンを伴ってファラウェイへ向かった。

まずはオープニングセレモニーだ。
原稿の用意はできている。
舞台袖からチラリと見える国民の表情も期待に満ち溢れており、申し分ない雰囲気だ。
心配する要素など何一つない。

…ただ一人、そばに控える秘書を除いては。

「あ、あの、首相、こういう時のおまじないですっ!薬指を揉むといいらしくて…あの、失礼しますっ」

一人落ち着かない様子のジェーンは、おもむろに私の左手を握った。

「こ、こ、これで大丈夫…大丈夫です…!」

どう見てもまじないが必要なのはジェーンの方だ。
やめさせてもいいのだが、これはこれで面白いのでしばらく続けてもらうとしよう。

ジェーンは真剣な顔で私の薬指を揉み続けている。

私は構わないが、舞台袖を駆け回るスタッフたちが好奇心に満ちた目でこちらを見ていることにきっと気づいていない。

しばらくして、満足したのか指が疲れたのかジェーンは私の手を離した。

「ふう。これで大丈夫です!もうすぐお時間ですね、首相」

不安で落ち着かない顔だったのが真剣な表情になり、今度は自信満々な様子だ。
本当はもっとジェーンを眺めていたいが、あいにくセレモニーの時間になった。

ぽん、と彼女の頭に手を置いてコートを翻し、舞台に立つ。

沸きあがる歓声。
惜しみない拍手。

本当に、心配する必要はどこにもない。
彼女は一体何が不安なのだろう。

小さくため息をつき、舞台の下を見回した。

「お集りの皆さん。クリスマスマーケットはいかがですか」

そう呼びかけ、演説を始めた。
それまでの雰囲気とは一変し、熱心に耳を傾けるリリス国民。

今頃ジェーンは落ち着かない顔でこちらを見ていることだろう。
用意していた原稿を読み終えると、改めて割れんばかりの拍手がわき起こった。

舞台袖に戻るや否や、ジェーンが駆け寄った。

「首相、お疲れ様でした!とってもステキな演説でした」
「当たり前だろう」

いつも通りに仕事を終えた後は、ジェーンたっての希望でクリスマスマーケットの視察を行うことにした。

もっとも、彼女にとっては観光のようだったが。

「首相、はや…あ、いえ、まずはこちらの通りから視察の予定です」

にっこりと笑みを浮かべ、ジェーンが手で道を指し示した。

[chapter:II]

クリスマスマーケットでは、ツリーに飾るオーナメントや雪をモチーフにしたインテリア、シュトーレンなどの菓子が売られている。

どれも華やかな装いで、ジェーンが見たがるのも当然だ。

そういえばリリス城でも大きなクリスマスツリーを飾っていたな。
土産に何点かオーナメントを買って行こう。

露店をいくつか巡っていると、栗鼠のオーナメントを見つけた。

リリス国旗には栗鼠があしらわれておりこの国の象徴とも言える動物だ。
これなら白のツリーに飾ってもいいだろう。

一つ手に取り、そのきらめきを眺めていると店の者が声をかけて来た。

「ニーズヘッグ首相、栗鼠のオーナメントでしたらこちらの方がオススメです」

手渡されたのは、クリスタルで出来たものだった。
街の光を受けて、キラキラと輝いている。
確かにこれなら城のオーナメントに引けを取らないだろう。

「美しいな」
「ありがとうございます」

代金を支払い、栗鼠のオーナメントをジェーンに預けた。

「わぁ、綺麗ですね。きっとナナリー女王もロイス殿下もお喜びになります」
「そうだな。きっとお二人もお気に召すだろう」

しばらくマーケットを視察していると、スノードームの店を見つけた。
ジェーンは…隣の露店に夢中になっており、私が違う露店を見ていることに気づいていない。

スノードームはリリスらしいものもあればノーザンを思い起こすものもあり、どれも美しかった。

その中で一つ、気に入ったデザインのスノードームを見つけた。
これはきっと、彼女に似合うだろう。
手に取り、店主に呼びかけた。

「これを貰えないか」
「はい、かしこまりました。…贈り物でいらっしゃいますか?」
「ああ。この包装紙を頼む」

スノードームを包み終えたところでジェーンが駆け寄って来た。

「首相、すみません。つい夢中に…あれ?そちらは…?」
「個人的な買い物だ、気にするな」

帰ってからのお楽しみ。殿下がよくクローカ氏に使う言葉だが、今日はお借りするとしよう。

「王都に帰ってからのお楽しみだ。待っていろ」

ジェーンは期待に満ちた表情で「はい」と答え、次の通りへ向かう私の後ろをぱたぱたと追った。

[chapter:III]

ファラウェイの宿に着くと、ジェーンが私服に着替えてきた。

ふわふわとしたニットワンピースにもこもことしたブーツ。
まさしく雪兎そのものだな。
これではニキとのコーデバトルに勝てないのも頷ける。

これから食事に行くというのに、彼女はまるで
友人と遊びに行くようなコーディネートではないか。

予想はしていたので、予め用意しておいたドレスに
着替えるよう指示をした。

「ジェーン。一国の首相との晩餐にそのコーデは相応しくない。こちらに着替えなさい」
「申し訳ありません!すぐに支度いたします」

しばらくして、ジェーンが部屋をノックした。

「あの…首相、着替えて参りました」

扉を開けると、用意したドレスとコートに身を包み恥ずかしそうな顔をしたジェーンがいた。
ノーザンで仕入れたメープルリーフシリーズをリリス風に直したドレス。

ノーザン特有の鋭いデザインは残しながらも、彼女の雰囲気にも合うよう仕立て直している。
当然のように、よく似合っていた。

「よし、これで良いだろう。夕食に向かおう」
「はい!楽しみです」

ファラウェイでも名高いレストランへ向かった。
クリスマス特別コースというものをジェーンに予約させておいた。

どれもこれも、クリスマスを模した盛り付けでジェーンは料理が運ばれるごとに目を輝かせた。
味ももちろん申し分ない。

ジェーンは酒が飲めないが、せめて気分だけでも…と私が好むワインと同じ葡萄で作られたジュースを選んだ。

「夕食で首相と同じものを飲むのは久しぶりですね」
「確かにそうだな。…明日は吹雪くかもしれないな」
「ふふ、首相のご冗談は本当に起こりそうです」

ノーザンでは、体を温めるためにも夕食時は水ではなく酒を飲むことが多い。
その習慣だけは抜けきれず、食べるものは同じでもジェーンと違う飲み物を飲むことが多かった。

本人も気にしていたのだろう。
食事の毒味も秘書たる自分が行うはずなのに、と。
生憎毒には耐性があるので問題ないのだが、落ち込む姿も面白いので黙っておこう。

夕食の最後に運ばれたのは、デザートだった。
私は甘いものが苦手なのでデザートは不要だが、ジェーンがなぜか悲しそうにするので食べることにした。

ブッシュ・ド・ノエル。

てっきり苺のショートケーキかと思っていたが、
出てきたのはチョコレートのケーキだった。

暗がりだと分かりにくいが、ジェーンの皿に乗るケーキは自分のそれより少し色が淡い。
チョコレートの甘さを調整しているのだろう。

これなら私も食べられそうだ。

「本当は、イチゴのショートケーキと迷ったんです。でも、これなら首相と一緒に食べられると思って」

照れたようにジェーンが笑った。

「そうだな。気遣ってくれたんだな」

その一言を皮切りに、二人でケーキを楽しんだ。

[chapter:IV]

食事を済ませて宿に戻り、ジェーンと共に、私の部屋で今日の報告書を作成した。

「演説の観客はおよそ1000人程でしょうか。雲上からの観光客が50人程、カルファからは100人程いらしたようです」
「視察の出店はバライエティに富んでいたな。2、3出店内容が重複するところもあったが、デザインの趣向を変えていて競争を防いでいる」

ファラウェイはリゾート地。
冬は海からの風が冷たいが、それをものともしないような暖かさがあった。
これからもリリスのメインイベントとして実施されるだろう。

何より、ロイス殿下はこのファラウェイでのクリスマスマーケットを楽しみにされている。
いつかクローカと訪れるんだ、と意気込んではクローカ氏の溜息を誘っている。

ロイス殿下への報告書が仕上がったところでふとジェーンを見ると、スヤスヤと寝息を立てていた。

さすがに疲れたか…。

このまま私の部屋で寝かせても良かったが、翌日謝り倒す彼女の姿が安易に想像できた。

眠る彼女を抱きかかえ、隣の部屋に運んだ。

部屋を結ぶ廊下は少し寒く、外に出たことに気づいたのか、ジェーンが薄っすらと目を開けた。

「あれ…ここは…」

寝惚けていて、私の腕の中にいることにまだ気付いていないようだ。

「ファラウェイだ。疲れたんだな、ゆっくり休め」

そう声を掛けると、安心したのかふわりと微笑んで再び眠りに落ちた。

いつだったか、クローカ氏と珈琲談義に花を咲かせていると話に加われないロイス殿下が妬いてしまい「クローカ!僕以外に笑わないでね!」と言い渡していたことがあった。

あの時は殿下の気持ちが理解出来なかったが、今なら分かる。

全てを委ねたこの寝顔だけは誰にも見せたくない。

[chapter:V]

ジェーンの部屋に入り、彼女を寝かせてからしばらく寝顔を眺めていた。

すやすやと幸せそうな寝息を立て、ここに私がいることが分かっていないかのように無防備な寝顔をしている。

カーテンの隙間から月の光が漏れ、艶のある深いブラウンの髪は少しだけ金色を帯びた輝きを放っている。

その輝きは頬へと流れており、その肌の白さを際立たせている。

ノーザンに居た頃、幾度となく見合いをさせられてきた。
相手の容姿が美しかったことは覚えているが、今はもう、誰一人としてその名を覚えていない。
何度か身体を許す関係になった者もいたが心まで許すことはなかった。

ジェーンには知られたくない、過去の話だ。

自分自身ではなく、その肩書きを愛した彼女達。
孤独を癒せる、と擦り寄ってきたが、結局は私の地位や名誉が欲しいだけだった。

結局私の孤独を癒す者は誰も現れなかった。

ふと顔を上げると、鏡台に自分の顔が映っていた。
見慣れた顔のはずだけれど、その瞳の色がどこか違う気がする。

ノーザンにいた頃には、翌日の自分なんて分からなかった。
眠りにつくたびに、朝が来たら自分はいったいどこへ向かうのだろうかと自分に問う日々だった。

答えが出ることはなかった。

「…明日の形なんて、きっと俺には分からない」

わずかに差し込む月の光に向けて、そっと呟いた。

いつの間にか時間は過ぎ、月の光は消えてしまった。
部屋の中は真っ暗になり、出口がどこにあるのかさえも見えなくなった。

まあいい、じきに目が慣れる。

過去のことを考えるあまり、この部屋に来た目的を忘れていた。

クリスマスマーケットの露店で見つけたスノードーム。
これを彼女の枕元に置いてから、部屋を去ろうと考えていたのだった。

ファラウェイのマーケットにしては珍しく、ノーザンの景色がモチーフになっていた。

深い雪山に建つ、石造りの城。
あたりを覆う針葉樹林も細かく再現されている。
そしてその麓には、数羽の兎を象った雪だるまが配置されている。

彼女に似合うデザインではないかもしれないが、なぜかこのスノードームが目を引いた。
これだけでは味気ないので、その露店にあった兎がモチーフの髪飾りも添え、包装紙にも兎をあしらったものを選んだ。

彼女には兎がよく似合う。
朝はきっと、この髪飾りをつけるだろう。

包みをそっと枕元に置いた。

ことん、と音を立ててしまった。
それでもジェーンは目覚めず、相変わらず無防備な寝顔をこちらに向けて眠っている。

うっすらと開かれた唇から、すぅ…すぅと寝息が聞こえてくる。

「少しは警戒しろ…」

顔にかかる前髪をさらりと上げ、彼女の唇に自分の唇を寄せた。

あと少しで触れそうな距離。

ほんの少しだけ後ろめたい気持ちはあったけれど、眠っているのだ。気付かれることはないだろう。

わずかに唇同士が触れた、その瞬間だった。

「ん…」

わずかにジェーンの声がした。
構わず、もう一度だけジェーンにキスをした。

「え、えっと、しゅ、しゅ、首相…?」

何が起きたのか分からない、そんな声だった。

「もう起きたのか。まだ眠っていなさい」
「あの、その、でも」
「朝はまだ来ない」
「いえ、そうじゃなくて、どうして…」

状況を理解しようと必死そうだったが、残念ながら理由なんてない。
ただそうしたかっただけなのだから。

「あまりに無防備だったからな。それとも、もっと続けたかったのかね」
「え、え、あの、その……」

続きの言葉を遮るように、もう一度ジェーンに口付けた。
今度はもっと長く、何度も。

ジェーンの顔を見ると、目はぎゅっと閉じ、耳まで赤くなっていた。
しかし嫌がっている様子は無い。

…ダメだ、これ以上続けるともたない。

「私ももう部屋に戻る。おやすみ」

頬に軽くキスをして、彼女に背を向けた。

「あ、あの、お、おやすみ…なさい」

恥ずかしそうにジェーンは呟いた。
振り返ると、起き上がって枕を抱きかかえる彼女の姿がうっすらと見えた。

…このままずっと、2人でここに居られればいいのに。
リリス王国首相なんて地位は捨ててしまって、この国を抜け出して、どこか遠いところへ行ってしまおうか。

雪深い故郷の景色に思いを馳せ、ジェーンの部屋を後にした。

窓の外はゆっくりと雪が舞い落ちている。
その光景はまるで、自分がスノードームの中にいるようだった。