第一章 六花の帰還
Ⅰ
「産軍学連携?」
大佐からの急な呼び出しを受け、向かうなり手渡されたのは一巻きの羊皮紙だった。
裏面に国章が刷られているそれには「人事通達」と書かれている。
人事通達と言っても、軍内の部署を異動するわけではなく、新規部門の設立とその管理者を兼任する旨の通達だった。
「そうだ。軍の研究機関の一部を王国立大学との共同研究を行うために解放する」
「そこで産軍学連携のプロジェクトを行うことになったのですか?」
大佐は軽く頷き、私に一通の書類を手渡した。
「早速だが君に最初の仕事だ」
2つに折りたたまれたそれを開き、目を通そうとした矢先のこと。
大佐は私の瞳を見据え、試すような表情で告げた。
「プロジェクトメンバーを集めたまえ。選出基準は君に任せる」
渡された書類を開き、目を通すと告げられた内容が記載してあった。
それらを四つ折りにし、コートの内ポケットにしまい込んだ。
「承知いたしました。では早急に基準を決め、招集に取り掛かります」
失礼いたします、と一礼して大佐の部屋を出た。
石造りの床に敷かれた黒いカーペットの上を歩き、自室へと向かう。
上着から煙草を取り出し、火を付ける。
すぅ、と大きく煙を吸い、吐き出す。
前方はうっすらと霞み、これからの道が不透明であることを示すかのようだ。
「産軍学連携、か…」
自室に戻り、書類を改める。
プロジェクト「NORN(ノルン)」。
ノーザン特有アイテムである武器を作る計画…とは名ばかりの、軍事計画だ。
「過去のウルズ、現在のヴェルザンディ、未来のスクルド…」
それぞれ、どこか遠い処で信仰されている神の名前だ。
運命の女神とも言われているその名を冠した空母・戦艦を建造する計画。
産軍学連携の「学」はノーザン王国立大学。この国を代表する研究機関だ。
兵器を開発する技術があり、よく企業との連携プロジェクトを行なっているらしい。
「軍、はもちろん我々のことで…産は…、と」
読み進めると、連携する企業の名前が記されていた。
「霧之國重工か…。確かに、この計画で連携するならそこしかないか」
霧之國重工。
ノーザン王国の重工業を主体とする製造企業。
船舶や航空機、兵器を製造しており、軍とも付き合いが長い。
確か、社長を務めるのはカルファ出身の女性だった。
一度だけ霧之國重工の株主総会に顔を出したことがあり、そこで話をしたことがある。
父君がノーザン出身で、町工場を営んでいたそうだ。
霧之國重工の資料を調べると、簡単な彼女のプロフィールが書かれていた。
名はエッダ・ヒャルタドッティル。
最終学歴は、カルファ王国立デザイン学院。
卒業後、父の町工場を継ぎ、やがて霧之國重工の規模へと発展させた。
現在は彼女の故郷であるカルファ王国に支社を設立し、新規事業戦略に従事している。
「この経歴は非常に優秀だ……よし」
一人目は、エッダ・ヒャルタドッティル以外にありえない。
彼女なくしてこのプロジェクトを成功することはできないとも言えよう。
「他のメンバーの選定基準を決めなければ…」
何本目かのタバコがちょうど燃え尽きた頃。
吸殻を灰皿に押し付け、プロジェクトの内容が記された書類を手に取った、その時。
急な眠気に襲われた俺は、そのままベッドに倒れこんだ。
「まだ仕事があるが…今日はもう、辞めよう…」
瞼を閉じると、そこはもう夢の世界だった。
Ⅱ
どこまでも続く雪原。
私は、吹雪の中に立っていた。
凍てつく寒さに、皮膚を刺すような風。
おそらく真冬のノーザン王国だ。
「ここは一体…?」
しばらく吹雪の中を歩いてみるが、建物は見当たらない。
ところどころに針葉樹の幹は見えるが、その葉は雪で覆われているのか視認できない。
それでも歩き続けていると、やがて森に入ったようだ。
風が幾分か弱まり、前が見えるようになった。
相変わらず、建物は見当たらない。
「夢の中で彷徨うことになるとは…。一体どこに向かっていると言うんだ」
小さく溜息をつき、辺りを見回した。
どこを見回しても、風に舞う雪と針葉樹林以外はなさそうだ。
ザクザクと音を立てて歩を進めるが、疲労感が蓄積されるだけで風景に変化は無い。
夢の中で終わりない旅をするとは思わなかった。
どうすれば目覚めるのか、夢の中で考えることになるとは思わなかった。
これから進むべき方向を決めるべく、再び辺りを見回した時。
「あれは…まさか…」
かなり離れているはずなのに、その景色ははっきりと見える。
ある遠い春の日に、一度だけ見た風景。
夢や希望に輝く瞳に焼き付けた風景。
いつかまた見られたら、と願っていた風景。
あの光の中に行けば、その眩しさで目覚めるかもしれない。
はやる気持ちを抑えきれず、歩を進める速度は増してゆき、ついに駆け出した。
普段の自分からはきっと想像もつかない行動だ。
部下のジェシカなど、この様を見ると驚いて追いかけるだろう。
それでも、ここは夢の中。
多少普段と異なる行動をしても、誰も驚くまい。
次第に息は切れ、額に汗が浮かぶのを感じた。
それとともに、光が近づいてくる。
「暑い…」
外套を脱ぎ捨てる。
少し身体が軽くなったような気がした。
光まで、あと少し。
「…見えてきた」
光の先は、一面の花畑だった。
赤、桃色、紫、青、白、淡い緑。
六色の花が、風に揺れている。
ノーザン王国の国家、アネモネ。
風の花とも呼ばれている花が、辺り一面に咲いている。
「六色の花、か…。まるで大陸の国々がノーザンに集まったようだな」
ふふっ、と笑いながら呟いた。
Ⅲ
「六色の、花か…」
目が覚めた私は、エッダ・ヒャルタドッティル女史の経歴をベースとして、プロジェクトメンバー選定基準の取りまとめに着手した。
メンバーはヒャルタドッティル女史を含めて7人。
全員がノーザンの血を引くものであることを必須の条件とする。
カルファ王国・パテール連邦・リリス王国・雲上帝国・ウェイストランド共和国・ルインアイランドの6カ国から1人ずつ選出し、助手は2名まで許可する。
大まかな基準はこの程度で良いだろう。
詳細な選定基準については稟議にかける必要があるため、資料に取りまとめる必要がある。
表向きはコーデアイテムの開発となるため、各国内でも名高いデザイナーでなければならない。
その一方で、王家や国家元首と関わりがあると、機密事項が漏れてしまう可能性があるため除外する必要がある。
美術館、図書館、企業の研究員が望ましいだろう。
「稟議にかける時点で、人物は絞った方が良いな」
条件に当てはまる人物を、経歴とともに資料に記載しよう。
まずはパテール連邦。
確かここには、各国の衣装やアイテムを研究する図書館がある。
パテール連邦総合図書館…という名称で設立されたが、パテールでは親しみを込めて「苹果文庫」と呼ばれている。
「ここの司書は、研究員も兼務しているのか」
職員のリストを眺めていると、ある人物が目に留まった。
フレイヤ・ルーテルスドッティル。
ヒャルタドッティル女史と同じく、カルファ王国立デザイン学院を卒業している。
苹果文庫でファッションの歴史を研究する傍ら、唯一の司書として館内の資料の管理を行っているそうだ。
彼女もまた、プロジェクトメンバーにふさわしい経歴だ。
「二人は同級生なのか。知人同士かもしれないな」
彼女もメンバーリストに加えた。
他国からも同じように、国立の研究所やデザイン学院の学生から選出した。
完成したリストと選定条件を稟議書に書き込み、大佐の部屋を訪ねた。
「失礼いたします、大佐殿。ニーズヘッグ中佐、参りました」
入りたまえ、と扉の向こうから返答があった。
ドアを開け、帽子を取り、一礼する。
「その羊皮紙の束は…もうプロジェクトメンバーが決まったのかね」
「はい。選定基準として、有能であることはもちろんのこと、絶対に国外に情報を漏らさないことを設けました。稟議書はこちらです」
「分かった。おそらく君の案で元帥殿も承認されるだろう」
ありがとうございます、と礼をして大佐の部屋を出る。
あの稟議書をもとに上層部に提案するのは大佐だ。
その日までに、リストアップした研究員に至急コンタクトを取らねばならない。
部下のジェシカを呼び、私は命じる。
「これから2週間でこのリストの者を訪ねる。国内の事務処理は任せる」
ぱさりとリストの複製をジェシカに渡し、旅の支度を整えた。
たった半月で全員の合意を得ることは難しい。
けれど、国家の未来を左右するプロジェクトだ。
失敗のないよう、慎重に事を進めなければならない。
Ⅳ
私、フレイヤ・ルーテルスドッティルに突然の来客があった。
ノーザン王国の国軍で中佐を務める、ニーズヘッグ氏だ。
黒と銀に身を包む彼は、月のない夜のような瞳でこちらを見据える。
しばらくの沈黙の後、彼は一言、私に尋ねた。
「貴女が、フレイヤ・ルーテルスドッティル女史か」
どこか少し、疑うような目をしている。
確かにノーザンは父の出身で、私にもゆかりのある土地だ。
けれど、軍の佐官がわざわざ訪ねて来るほどの者ではないはず。
「はい、そうですが…何かご用でしょうか」
恐る恐る返答すると、彼は少し安堵したような表情をして来訪の顛末を説明し始めた。
ノーザン王国で新しいコーデの開発プロジェクトが発足したこと。
マーベル大陸の各国から一人ずつ、プロジェクトメンバーを選出していること。
パテール連邦からは私 フレイヤ・ルーテルスドッティルが選出されたこと。
そして、カルファ王国から選出されたのは私の親友、エッダ・ヒャルタドッティルである。
彼女は私が研究者であること、この苹果文庫の資料管理や職員の管理全般を行なっていることなど、私の経歴について話したそうだ。
「以上が貴女を選定した理由だ。ヒャルタドッティル女史とは知り合いか?」
「ええ、学院に入った頃からの友人です」
「そうか。では…」
彼は立ち上がり、私の目の前に来ると、屈んで片膝を立てた。
そして両手で私の右手を取り、言葉を続けた。
「フレイヤ・ルーテルスドッティル。貴女をノーザン王国の産軍学連携プロジェクトの主要メンバーに迎えたい。ご了承いただけるか?」
正直なところ、司書が私一人のこの図書館を長期に開けることはしたくない。
しかし、心は大きくプロジェクト参加に傾いていた。
彼がこの姿勢で頼むのはずるい。
威圧感ではない、ときめきにも似た感情が少しだけ胸を苦しくさせるのだから。
「…はい。謹んでお受けいたします。よろしくお願いいたします」
できるだけ嬉しそうな微笑みを浮かべながら、私は答えた。
するとニーズヘッグ氏は大きな溜息をつき、私への交渉が最後だったと告げた。
どうやら他の国々との交渉は難航することが多く、私もなかなか承諾しないと思われていたそうだ。
たった一人の図書館だもの、無理はないわ。
ニーズヘッグ氏が持参した書類にサインをし、今後のスケジュールについての説明を受けた。
プロジェクトの開始は9月1日だが、顔合わせが3日前に行われる。
場所は霧之國重工の本社。
その後、私はエッダと共にノーザン王国軍の研究所で研究を行う予定だそうだ。
「出発まであまり日がなく、すまない」
「いえ、しばらく休館にするので支障はございません。手続きそのものも、半月で終わるかと思いますのでお気になさらないでください」
思わずくすくすと笑いがこぼれてしまった。
それでもニーズヘッグ氏は表情を変えず、淡々と必要事項について説明してくれた。
出発は一月後。
それまでに休館のお知らせを発行して、清掃業者さんに話をして…。
準備することはたくさんありそうだ。
ニーズヘッグ氏を見送った後、私はエッダに電話をかけた。
Ⅴ
フレイヤ・ルーテルスドッティル女史に見送られ、私はパテールからノーザンへ戻る列車に乗る。
苹果文庫を出る直前、私は彼女に一枚のカードを渡した。
葉書の半分ほどの大きさをしたそれには、青色のアネモネが描かれている。
◇◆◇
「このカードを提示すれば、大学・軍の研究所・霧之國重工の任意の施設に入館できる」
そう伝えると、彼女はしげしげとカードを眺めた。
「ではこれで、エッダの職場にも入れるのですね。職権濫用かしら」
「目的が正当なものであれば、職権濫用には当たらない」
「それもそうですね。ちなみにカードの花…アネモネには何か意味が?」
「あぁ、それは…」
あれは夢で…とつい口走りそうになった。
小さく咳払いをし、訂正する。
「アネモネはノーザンの国花だ。このプロジェクトは国が中心に行うので、国花をモチーフにカードを作らせたんだ。」
ルーテルスドッティル女史は感心した面持ちをしている。
「そうだったのですね…。他の皆さんは、違う色なのでしょうか」
「ああ。ちなみにヒャルタドッティル女史は紫色…というか、青紫だ」
「あら、エッダと似た色なのですね」
彼女は嬉しそうに微笑むと、入館証を自らのネームホルダーへしまい込んだ。
◇◆◇
ノーザンに到着するのは二日後。
そして、ルーテルスドッティル女史が苹果文庫を発つのは半月後。
彼女の到着により、パテール・雲上・ウェイスト・ルイン・カルファ・リリスの代表が揃う。ノーザンの代表は自らが行うつもりでいたが、おそらく別に選出した方が都合が良いだろう。私は実際に研究に携わらないのだから。
窓辺の景色が都市から雪景色へと変わるのを眺めながら、今後のノーザン王国内の人選について考えを巡らせる。
あれだけ優秀な研究者が各国から集められたのだ。
産軍学連携と銘打ったプロジェクトなのだから、ノーザンは学院の学生から参加者を募れば良いだろう。
すでに先手は打ってある。
部下のジェシカにノーザン王国立大学にて志望者を募る掲示の手配を行い、希望者の研究内容や成績のリストを作らせている。
「軍と連携するのは前例が無いだけあって、志望するのは成績優秀者ばかりだな…ん?」
流れるようにリストを眺めていると、一人の学生に目が留まった。
名はカミラ・アナセン。
両親ともにノーザン王国出身。
カスタマイズによるステータス変化について研究している。
成績は上位だが、目立った研究成果は無い。
「この成績で研究成果がほぼ白紙か…。それでも応募するとは、面白い」
口の端を僅かに上げ、カミラ・アナセンの名前にチェックを入れた。
「ただし、研究助手として」という但し書きと共に。
列車はノーザンへの道を順調に進んでいる。
窓の外には、雪がちらついているのが見えた。