第二章 花は集い、雪原を彩る

パテールで梅雨が明ける頃。

私、フレイヤ・ルーテルスドッティルはノーザン王国へ向かう列車に乗った。

一足先にノーザンに到着している友人、エッダ・ヒャルタドッティルによると、この時期のノーザンはパテールの秋に相当する気温だそうだ。しかも到着する頃には冬になっているらしい。これから夏が始まるというのに、楽しむことなく次の季節に移ってしまうのはなんとも言えない気分になる。

「オルコに着く頃には、上着を羽織らないといけないみたいね」

パテール連邦最北の街、オルコ。
最大の闇市、掛け根なしの悪の居城。

そう言われる土地だ。当然、オルコの駅で民間の列車が止まることはほとんどない。以前、一度だけパテールとノーザンが融合したコーデの歴史資料を探しに行ったことがある。荒涼とした土地は夏でもコートが必要なくらいだ。それに治安の悪さも相まって、何度も訪れるような街ではないというのが正直な感想だ。

そこを通って行くことはニーズヘッグ氏から聞いていた。そこを通ってでもプロジェクトに参加する覚悟があるのか、というのが私に対する試験だった。

と言っても、通るだけなのだから試験も何もないのだけれど……。

NORN。
軍事計画にも等しい、ノーザンの極秘プロジェクト。

プロジェクトは数年かけて行われるため、研究資料や他の季節に着る服を先にノーザンに送っている。軍の施設を滞在先として提案されたが、エッダが社員寮の一室を貸してくれることになり、エッダに甘えることにした。

霧之國重工。
エッダの手腕でノーザンが誇る規模に成長した、船舶や航空機を中心に生産する企業。

学生時代、彼女は国を超えたファッションの研究に取り組んでいた。
特にカルファとノーザンのファッションを融合させたアイデアは斬新で、彼女の伝統を重んじながらも柔軟な発想ができる性格が遺憾無く発揮されていた。

「エッダ、元気にしてるかな……」

列車に揺られ、遠くの山々をぼんやりと眺めながら、私は呟く。

図書館に置く歴史資料を探しにカルファを訪れることがあった。時間が許せば霧之國重工に出向くこともあったが、ここ数年はあまりカルファに行く用事そのものが作れないでいた。司書という役職ではあるが、図書館の運営に時間の多くを割くようになったからだ。

同じカルファ王国出身だけれど、育った地域が異なるからか、少し不思議な言葉遣いをするエッダ。言うなれば、古風な貴族の話し方に似ていた。
カルファの格式高いドレスを好んで着ていた彼女は誰よりも聡く、未来への好奇心が強かった。今思うと、ドレスを着ていたのは「典型的なカルファ人」と周囲に思わせるための戦略だったのかもしれない。

「本当にそうだったら、少しびっくりするかも…ふふふ」

くすくすと笑いながら、列車の内装を見渡す。

私が乗る寝台列車「黒色火車」は、ニーズヘッグ氏がパテールからノーザンへの旅路に手配してくれた国賓用の列車だ。実は彼との面談で、北上するにつれて変わりゆく風景を楽しむのが好きだと話したから、飛行船ではなくこの列車を寄越したのだろう。冷たい男性だと思っていたが、意外と気が利くところもあるようだ。

「氷のような人だと思っていたけど、優しいところもちゃんとあるのね」

肌触りの良いベルベット生地で覆われた座席。窓は二段に分かれており、下段は透明度の高い硝子で、上段はステンドグラスでできている。ステンドグラスには、おそらくノーザンの古い神話が描かれているのだろう。白と青、そして炎の赤を基調にした、華美とは違う煌びやかさを秘めている。

内装もそれに合わせて、黒・白・青を基調としている。そこにランプの炎、すなわち赤がよく映えるように設計されているようだ。
何度眺めても、重厚な美しさに心を奪われてしまう。

「これは他の車両の内装も気になるわね。少し探検してみようかしら」

私は荷物をまとめ、列車内を探検することにした。

長い時間をかけ、列車はノーザンへと着いた。エッダの忠告通りに冬服に着替えておいたため、外の寒さにも問題なく対応することができた。

『エッダには本当に頭が上がらないわ。ノーザンってこんなに寒いのね』

私は心の底からエッダの助言に感謝しつつ周囲を見回した。何せ国賓用列車の、ただ一人の乗客なのだ。ニーズヘッグ本人ではなくとも、こういう時には迎えの者がいるものだろう。

しかし、駅には誰もいなかった。

黒水城付近を目指すことは理解しているが、どのようにすればそこに着くのか私は知らなかった。戸惑いながら改札を通り、駅の出口へと向かった。

漠然とした不安に駆られていると、聞き慣れた声が耳に届いた。

「フレイヤ、フレイヤ。こちらですわ」

そこにいるのはエッダだった。

彼女はノーザンの暖かい生地で作られた、おそらく特注のドレスを身に纏っている。いつにも増して豪奢に見える彼女の装いは、私にはやはり「自分はカルファの人間だ」と主張しているように見えた。

「フレイヤ。久しぶりですわね」
「そうね、いつぶりかしら…もう2年くらい会っていないような気がするわ」

互いの手を合わせ、再会を喜んだ。

それからはエッダが手配した馬車に乗り、霧之國重工へと向かった。社員寮に行く前に、本社にある図書館を見ておきたかったからだ。ヒャルタドッティル家が代々蒐集したという書物やアクセサリーの数々は、エッダいわく「貴女には一見の価値がありますわ」だそうだ。

正直、霧之國重工の外観も内装も想像がつかない。エッダがデザインしたのならカルファとノーザンの特徴が融合した、華麗さと荘厳さを兼ね備えた建物なのだろう。黒色火車のような雰囲気なのだろうか、それとも違う色合いを基調としているのだろうか。

「まずは本社へお招きいたしますわ、社食でお昼を取りましょう」
「重工の社食って…確か、ノーザンの企業でトップレベルなのよね」
「ええ、力を入れていますわ。健康が何よりの資本ですもの」

少し得意げな顔をして会社の話をするエッダは、なんだか輝いて見える。自信に満ち溢れて、彼女が重工を背負っているのだなとしみじみと感じる。

ゆらゆらと馬車に揺られながら、私とエッダは他愛ない話をした。

今どうしているか、どんな仕事をしているのか、昔のこと、将来のこと。そして、プロジェクトのこと。私はエッダの推薦で参加するようになったが、彼女は違う。ノーザンで育ち、輝かしい功績を打ち立てた。それを買われ、ニーズヘッグ氏が最初に声をかけたそうだ。

「初対面の貴女には親切になさっていたようだけれど、わたくしには冷徹でしたのよ」
「あぁ、やっぱりそうなのね。軍人さんだし、仕方ないのかも。私はエッダがいるなら必ず来ると思われていたみたい…どこまで調べているのかしら」
「…何だか照れますわね」

話をしているうちに、馬車は霧之國重工本社へと到着した。

「フレイヤ、着きましてよ。ようこそ霧之國重工へ、ですわ」

門をくぐると、そこはまさしく「城」だった。

石造りの重厚な佇まい。けれど重苦しさを感じないのは、通りがかる人々の雰囲気からだろうか。エッダの顔を見るなり、朗らかな声をかけてくれる。お祖父様の頃から親しくしてくれる社員も多いのですわ、と彼女は笑う。しかし、若手社員も気軽に彼女に声をかけている姿にもちらほら見かけた私は、エッダが経営者として慕われていること、人柄と実力の双方で評価されていることを実感していた。

昼食を済ませてからは、ノーザンに滞在する口実作りに時間を費やした。NORN二酸化するにあたり、パテールからの客人というのは少々扱いにくいそうで、ニーズヘッグ氏からエッダに相談…もとい、指示があったそうだ。

「ルーテルスドッティル女史を霧之國重工の社員にしてくれ、と仰っていましたわ」

ニーズヘッグ氏の声帯模写をしながらエッダはぼやいた。ひとまず私は霧之國重工の社長秘書、ということになった。入社手続きを済ませ、役員に挨拶をする。彼らは一瞬だけ驚きの表情を見せたが、すぐに歓迎の言葉を紡いでくれた。

その次の日、私はエッダと共に黒水城付近のノーザン王国軍研究施設に向かった。霧之國重工と同じく石造りの建物が並んでいるが、こちらはやはり重圧を感じる佇まいだ。

少し圧倒されながらもエッダに続いて施設に入り、ニーズヘッグ氏から渡されていた入館カードを首に下げる。カードを受付に見せると、軍服を着た女性がほんの少し微笑んで施設に通してくれた。

「フレイヤはプロジェクトの概要…どんな方々が参加なさるか、お聞きしまして?」

ヒールの足音を響かせながら、エッダが問いかけた。言われてみれば、どんなプロジェクトを行うのかは聞いているが、どんなメンバーが参加するのかは聞いていない。時が来ればわかるだろうからあまり意識はしていなかったが、エッダからは「ここまで他人に関心を持たないなんて…どうかしていますわ」と呆れることだろう。

「もう少し他人に関心を持ちなさいな。いいですこと?」

ため息をつきながら、エッダはプロジェクトメンバーについて説明してくれた。

ノーザン王国にゆかりのある者が、各国から1名ずつ選出されるということ。
エッダはカルファ王国の代表者として招聘されたということ。
私はパテール連邦の代表者としてエッダの推薦を受けたということ。

「他の国から参加するメンバーは…あら、もうすぐ到着しますわね。部屋の中でご紹介いたします」

エッダは黒檀でできた扉を開ける。
見た目通り、重々しい音を立てて扉が開く。

部屋の中には色とりどりのコーデに身を包む男女と、真っ黒の衣装に身を包むニーズヘッグ氏が立っていた。

「これで全員が揃ったな。NORNは明日から正式に始動する」

ニーズヘッグ氏がこう宣言すると、口々に「よろしく」「頑張ろうね」などの挨拶が飛び交った。私はまるで転校生にでもなったかのように取り囲まれ、自己紹介を迫られた。慣れない事態に戸惑っていると、エッダが口を挟む。

「お待ちなさい。順番に紹介するのが道理ではなくて?」

その提案にニーズヘッグも同意し、では私から…と口を開いた。

「ノーザン王国のニーズヘッグだ。軍では中佐を務めている」

以上だ、と言わんばかりに外套を翻して部屋の隅に置かれた椅子に腰掛けた。パテールで簡単に彼自身の説明は聞いていたし、他のメンバーもおそらく同様だろう。とは言え、彼の一言が自己紹介のテンプレートになるとしたら、それはあまりにも言葉が足りない。

「中佐殿、それはあまりにも情報が足りないのではなくて?」

誰もが戸惑う中、エッダはカツンとヒールを鳴らして一歩前に出た。

「わたくしはエッダ・ヒャルタドッティル。お祖父様がノーザンですが、わたくしはカルファの出身ですの。ご覧の通り、カルファ貴族の冬服のようなコーデが得意ですのよ。苗字は呼びにくいと存じますので、どうぞエッダとお呼びくださいませ。それと…この国で、霧之國重工を経営しておりますわ。」

エッダが自己紹介を済ませると、その肩書に少しどよめきが起こった。

「うわー、社長さんかぁ…エッダお姉さん、すごいね」

少年がエッダに近寄り、しげしげと眺めながら彼女に話しかける。

「僕、ルカ。ルカ・シュヴァリー。見ての通り、リリス王国出身だよ!これでもシシーやデザイン学院で首席なんだからね。ロイス王子と一緒にブランドを立ち上げるのが夢なんだ」

にっこりと微笑むルカは、確かにリリス特有の王子様風コーデに身を包んでいる。少女と間違いそうなほどのフリルが特徴的だが、彼の瞳に合わせた深い緑をベースとしたジャケットは思いの外落ち着いた雰囲気を形成している。所作や立ち居振る舞いはどことなくロイス王子を意識しているようで、上品かつ柔らかな物腰が滲み出ている。

そして、腰には薔薇の装飾が施された短剣が下げられている。後で判明したことだが、その鞘の下はペーパーナイフだそうだ。

ルカって呼んでね、と微笑むと、隣に立つ青年にウインクをした。次に自己紹介するのは彼のようだ。

「僕は董 麗孝(はん りきょう)です。董が家名です。雲上帝国の雲京出身で、雲上の文学や古代から続く女性の衣装について研究しています。大学生で、こんな服装なのと…字面が似ているので、菫(すみれ)と呼ばれています。えっと…よろしくお願いします」

スミレは絵に描いたような「大人しそうな青年」だ。しかし、その態度とは反して瞳に強い意志を宿しているように思える。これまでの研究成果に誇りを持っているようだ。

雲京にある帝国大学は、デザイナーやスタイリストだけを目指す教育機関ではない。文学や医学をはじめとする、様々な学問を修めることのできる研究機関でもある。きっとスミレは自身の専門分野でトップの成績を修めているのだろう。

彼は少し淡い紫を基調とした、不思議な衣装を着ている。雲上の伝統的な、男性にも女性にも見えるような…確か「漢服」だ。ゆったりとしたシルエットで、スミレが持つ幽玄な美しさをこの上なく引き立てている。

「……あぁ、こう見えて男です」

あまりに私がスミレの漢服を観察していたからだろうか。少し照れたように、自己紹介に一言付け足した。

「次はあたしか?あたしはメイリ・シーカー。呼び方はメイリでもシーカーでも構わない。ルインから来た、大学生だ。ルインの遺跡を研究している」

廃墟の上に築かれた未来都市、ルインアイランド。メイリは謎に包まれたルインアイランドの出身だと言う。なんとも興味深い出自だが、あまり立ち入ったことを聞くべきではない。そんな葛藤に悩まされていると、それを察したのかメイリが自己紹介を続けてくれた。

「ルインは確かに技術が進んでいるが、暮らしはパテールとそんなに変わらない。大陸の者が手動でやってることが自動でできるくらいにしないと、別の国に行った時に困る」

確かにそうだ、現にメイリはノーザンに長期滞在するのだ。他国の技術水準に慣れていないと、まともな生活は送れないだろう。

「隣にいるのはベル。ヴェルザンディ・アーツトゥングだ」

視線が集中するのが嫌いなのか、隣に立つ女性へと話を振った。その女性はゆっくりと頭を下げ、柔らかな微笑みを見せる。

「ウェイストランド共和国から参りました、ヴェルザンディ・アーツトゥングです。ルインアイランドの大学でメイリと一緒に遺跡の研究をしています。学内ではベル…もしくはアーツと呼ばれておりますので、どうぞそのようにお呼びください」

メイリとベルはよく似た衣装を着ている。ルイン特有の身体にフィットしたデザインのワンピースに、メイリはオーロラカラーの、ベルはパステルカラーの装飾が施されている。加えてベルは、三日月や星の形をしたアクセサリーを幾つも身に付けている。星占術に長けているのだろう、ルイン特有の淡々とした口調のメイリと異なり、聞き手を落ち着かせるような、語りかけるような口調が特徴的な女性だ。

「パテールのお姉さんが最後みたいだね」

ルカがちらりと視線を向ける。言われてみれば、いつの間にか最後になってしまった。

「パテール連邦から参りました、フレイヤ・ヒャルタドッティルです。パテール連邦総合図書館…苹果文庫の館長兼司書をしていましたが、今は霧之國重工で社長秘書をしています。ファッション史を中心に研究していました。よろしくお願いします」

自己紹介を終えると、ニーズヘッグが椅子から立ち上がった。そして、プロジェクトのことを淡々と説明し始めた。

プロジェクト「NORN」はノーザン軍でも一部の人間しか知らされていない。そのため、この研究棟の外で安易にNORNの名を出すことは禁じられる。代わりに与えられた仮初のプロジェクト名は「アネモネ 」。ノーザン王国の象徴となる一着の軍服コーデを作ることが表向きの目的だ。

そして、プロジェクトの詳しい内容が改めて告げられた。

NORNは三柱の女神の名を冠する空母・戦艦建造計画だ。

過去を司るウルズは戦艦、現在を司るヴェルザンディは空母、未来を司るスクルドは艦載機を示す。
ウルズにはカルファ王国と雲上帝国、ヴェルザンディはパテール連邦・リリス王国・ノーザン王国が、スクルドはウェイストランド共和国とルインアイランドが受け持つこととなった。

各メンバーの得意分野を考慮してのことだろう。

船舶の建造技術に優れたカルファと雲上。
現代の技術の粋を集めたパテール、軍事技術では他のどの国より優れているノーザン王国、そして真実の秘匿に長けたリリス。
プリミティブ遺跡の共同研究により、過去と未来の両方を見通す術を手に入れたウェイストランド。

それぞれで部屋が与えられ、デザインに取り組むことになるらしい。エッダと同じでなくて少々残念だが、行き来は自由にして良いため寂しく思うことはないだろう。

そして、研究棟の全員がプロジェクトの一員であることが告げられた。設計図を実際に建造することが主な目的なのだが、それでも運命を共にすることには変わりない。明日は1日かけて歓迎会を催してくれるそうだ。せめてヴェルザンディに関わる面々を覚えられれば良いのだが。

私はふと、ニーズヘッグの隣に佇む女性に気がついた。各国から選出されるのは1人のはずだから、ノーザンの代表者のように思える。しかし、ニーズヘッグ氏がその役割を持っているはず。だとしたら一体、彼女は何者なのだろうか。

思案を巡らせながら、エッダの顔を見る。どうやら彼女も同じことを考えているようだ。

「中佐殿、隣の方はどなたですの?」

その一言に、メンバーは一斉に彼女に視線を向ける。思わず下を向くその女性は、ニーズヘッグ氏に促されるままに名乗った。

「カミラ・アナセン。この大学の学生で、ウルズの研究助手としてお世話になります」

それぞれ値踏みするような面持ちで、カミラの顔を見た。複数人との会話に慣れていないらしく、視線を独占した彼女は俯いてしまった。ノーザンの温かい生地は使われているようだが、とてもシンプルな服装をしている。薄いグレーのブラウスに、少し長めの黒いタイトスカート。パテールの女性がよく着ているスタイルだ。羽織っているのは、化学薬品を使う実験で用いられる白衣だろうか。

敬意ある言葉なのか、それとも慇懃無礼なだけなのか。今はまだ、誰の真意も推し量れない。