時間旅行 Ⅰ
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リリス王国。
全てを癒してくれる、可愛くて幻想的なメルヘンの故郷。
服装もピンクやベージュ、パステルカラーが好まれている。
そんな中、彼女の服装は異質だ。
ミッドナイトブルーのブラウス。
黒いスカート。
胸元にはサファイアが光る、黒いリボン。
いつもロイス王子の側に控えている彼女。
リリス城では密かに「月夜の君」などと呼ばれているが、おそらく本人は自分のこととは思っていないだろう。他の国々へ視察する時には目立ちすぎることはないのだが、リリスではそうもいかずロイス王子以上に人目を引くこともあった。
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ドリームコーデグランプリを間近に控えたリリス城は誰もが準備に追われており、クローカも例外ではなかった。
「ロイス殿下。警護の手配は整いました」
「わかった。引き続き、僕の代わりに指示を頼む」
自らの業務で警護に手が回せないロイスに代わり、最もロイスからの信頼が厚いクローカが中心となって、兵の手配を行っていた。彼女は本来王室専属SPのため、制服は支給されていない。ただし、毎年この業務のサポートに回る時は兵に指示を出す手前、近衛騎士団長の制服を着ていた。
と言っても、彼女の好みを考慮しておりリリスらしからぬ暗い色をベースにした、まるでカルファのようなデザインだ。
「こういうのもいいよね!」とロイスがこだわり抜いたデザインである事は言うまでもない。
兵の師団ごとに警護場所を割り振っているため、城内を駆け回るクローカ。
マントを翻す姿は、侍女達の噂話に火を付けていた。
「第三師団 師団長。ロイス殿下より伝令です。東門の警備状況の報告を」
「現在のところ異常はございません」
「承知しました。殿下に申し伝えます」
師団長と話をするクローカへ、柱の陰から数人の侍女が熱い視線を送っていた。
「まあ、月夜の君だわ。軍服をお召しになって、とても凛々しくていらっしゃるわ」
「いつものお洋服もさることながら、軍服も良くお似合いだわ。本当に素敵ね」
「ええ、本当に。お声をかけてみたいわ…」
話の内容は正確に聞き取らなかったが、自分へ向けられた視線にクローカは気づいていた。
『ああ、また…。きっとリリスのくせに黒い服なんて、とでも言われているのだろうな』
彼女の誤解なのだが、どんなことを言われているのか聞いたことがないため好意のある噂だと思ったことはなかった。
ため息交じりに場内を駆け回るクローカ。
「第一騎士団 団長。ロイス殿下より伝令です。宮殿広場の状況を報告してください」
「異常はございませんが、少々気が緩んだ者もいるようですな。もちろん、騎士ではありませぬが」
「では殿下のお言葉として口頭注意をお願いします。内容はお任せします」
「うむ」
騎士団長とのやりとりを聞きつけ、一人の女性騎士がクローカに駆け寄ってきた。
「クローカ!今日も難しい顔してるわね!」
「エルカ」
数少ない友人であるエルカを見つけ、クローカの表情は少し緩んだ。
「せっかくのリリス騎士コーデなのに相変わらず夜みたいな格好してるのね」
クローカが身に纏う騎士団長の制服は本来は白く、その姿から白鳥に例えられている。クローカの制服は深い紺色を基調にしており烏のようだった。
「いいじゃないですか。そういう役割なんですから」
当たり前のこと、とクローカは言うがその様子にエルカは肩を落とした。
「あなたねぇ…。クローカ、侍女達から何て呼ばれてるのか 知ってるの?そんなんだから、月夜の君とか異名をつけられるのよ」
「つ、月夜の君…?」
ポーカーフェイスを貫くクローカだが、この異名には流石に驚いたようだ。
「あなた結構人気なのよ。知らなかったの?ずっと噂になってたじゃない」
エルカの一言に、クローカは驚きを隠せないようだ。
「嫌われてるものと、てっきり…」
「あはは、この私、騎士エルカと一緒に居るのよ?嫌われるわけないじゃない!」
「そ、そうですか…」
クローカがふとあたりを見回すと、柱の陰にいる侍女がじっとクローカとエルカを見つめていた。そのうち一人と目が合った…はずだが、侍女は素早く柱に隠れてしまった。
クローカは普段、侍女が隠れる様子を目の端で見て「ああ、また避けられてしまった…」と嘆くだけだった。
改めて柱に隠れた侍女を見てみると、その耳が赤くなっているのが分かった。
(本当だったんだ…)
誰にも聞こえないほど小さな声でクローカは呟いた。それと同時に、自分の顔が熱くなるのを感じた
「あの、私は次の場所に向かいます」
「あぁ、そうだったわ。仕事中に引き止めてしまってごめんなさいね」
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一通りの確認が終わり、クローカはロイスの元へ向かった。朝一番から業務はスタートし今は昼食の頃合いだ。戻ればきっと、ロイスとともに昼食をとることになるのだろう。
「断っても断ってもお誘いになるのはどうしてなんでしょう…。明らかに食の好みが違うのに」
ため息をつきながら歩いていると、演台に立つするロイスの姿が見えた。
「あー、みんな、聞こえる?ロイスだよ」
その一言で、ざわついていた広場が一瞬だけ静まった。だがその直後、より大きなどよめきが広がっていった、
「いや、ただのマイクテストだからね?そのまま作業を進めて……あ。」
どうやらクローカを見つけたようだ。
それまでの微笑みから一変、広間の端にいるクローカに満面の笑みで手を振った。
「おーいクローカ!どう?終わったー?」
広場にいる全員が、ロイスとクローカの顔を交互に見比べた。
(月夜の君だ…)
(さすが月夜の君…ロイス様直々に…)
クローカは表情こそ変えていないが、少し怒った様子で演台へ一直線に向かった。
「殿下。テストは終わりましたね?こちらも終わりましたのでご指示を」
ロイスは演台から降り、クローカの手を取った。
「それじゃあ、僕とランチでもどうかな?今日は天気もいいから僕の部屋のテラスに しよう」
「わかりました」
ロイスの部屋にあるテラスは、城の東にあるローズガーデンを一望することができる。淡くバラが香るその場所は、ロイスとクローカのお気に入りだ。
「では着替えてお部屋に伺います。少しお時間をください」
「うん。いいよ、待ってる」
「では、後ほど」
二人はそれぞれの部屋に向かって歩き出した。
ロイスの部屋とクローカの部屋との分岐点に差し掛かったところでクローカは自らの部屋に進もうとするが、ロイスがふとその手を取った。
「そのコーデも凛々しくて可愛いけど、たまにはいつもと違うコーデのクローカも見たいな」
「はあ…そうですか…」
仏頂面をするクローカと対象的に、ロイスは眼を輝かせながら手にしていた羊皮紙にデッサンを始めた。
「確かこういうドレスを前に贈ったよね。今日はこれにしなよ」
「分かりました。ではこちらで」
「楽しみにしてるよ。それじゃあ、後でね」
ロイスはウインクをしながら手を振り自室へと向かった。
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クローカは自室に入るなり、
ロイスに指定されたドレスを探した。
「あれは確か、パテールで…」
パテールを訪問した時に見かけた
星空を模したドレス。
「これはクローカに似合うね」とロイスが気に入り購入したものだ。
「スターリーナイト、だったか。
殿下は私が月夜の君と呼ばれているのを
ご存知なのだろうか…」
ドレスに袖を通しながら、クローカがポツリと呟いた。
白い透け感のある生地が肌を滑る。
夜空のような紺色の裾も同じ生地を使用しており、少し動く度にふわふわと揺れていかにもロイスが好みそうな雰囲気だ。
セットのアクセサリーも身につけ部屋を出ると、いつもより侍女たちの視線を感じた。
今度はどんな話をしているのか、こっそり聞いてみることにした。
(一体何を話しているのだろう…)
「ご覧になって?あの月夜の君のドレス!
「ええ、先ほどの騎士姿も素敵でしたけど月夜の君のために作られたドレスのよう」
他の城内の者には聞こえない程度の小声だったが、いつもより興奮した様子で噂話をしていた。
しかし、クローカには彼女たちの話が聞こえていた。
「あの、少しよろしいですか」
クローカが侍女の一人に声をかけた。
「え、あ、あの…は、はい!クローカ様!」
「…私自身も王家にお仕えする身分です。様などつける身ではありませんよ」
「失礼いたしました。何か御用でしょう…」
顔を赤くして侍女は答えた。
「私のことを月夜の君、と呼ぶのはなぜでしょうか」
「それは、その…クローカさんがいつもミッドナイトブルーのブラウスを着てらっしゃるので。月夜の空のような色、ということです…」
なるほど。
ミッドナイトブルーから月夜の君なのか。
クローカが少し考えていると、一番年若い侍女が話し始めた。
「その…誰もが明るい色を選んでいるけど、中にはきっと夜…クローカさんのように落ち着いた色を好む方もいると思います」
ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ彼女は、すっと小さく息を吸った。
ちらりとクローカの顔に視線を向けたが、クローカの瞳を少しだけ見ると俯いてしまった。
「でも、みんな明るい色だからって仕方なく明るい色を着ている人もたくさんいます…。その中でクローカさんは、ミッドナイトブルーのブラウスをお召しになっているので、それで…」
その気高さや美しさに敬意を込めて、誰かが「月夜の君」と呼ぶようになった。
そして周りの者もいつしかそれに倣い、多くの者がクローカを「月夜の君」と呼ぶようになったそうだ。
うまく次の言葉を紡げず、その侍女の目に薄っすらと涙が浮かんできた。
その様子を見て、クローカは少しだけ目を伏せ、ふう、と小さく息を吐いた。
「それで”夜”なんですね。謎が解けてスッキリしました。ありがとうございます」
「あの、その…こちらこそ、ありがとうございます。今まで不快な思いをさせていたら申し訳ありません」
「良いんですよ」
クローカはその場を後にした。
すたすたとロイスの部屋に向かう彼女とは裏腹に、侍女たちはしばらくその場に留まりクローカの話に花を咲かせていた。
「ご不快な思いをさせていたのかしら…」
「私たちからもお詫びをしなければなりませんわね」
そう言って何かの支度を始める侍女。
一方、その場に留まる侍女もいた。
「お声も凛としていて月の光のように澄み渡っていたわね」
「ええ、それにあのドレス!色もそうだけれど、スタイルの良い月夜の君にとてもお似合いでしたわね!」
「私も月夜の君のような、深い青のドレスを 着てみたいわ。お城のメイド服はとても素敵だけど、いつもパステルカラーでは飽きてしまいます」
彼女たちもしばらく話していたが、しばらくして、散り散りになりそれぞれの業務の続きに取り掛かった。
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「ロイス様、クローカです。着替えて参りました」
クローカが扉をノックすると、にこにこと笑みを湛えたロイスが待ち構えていた。
「クローカ!待ってたよ!」
彼女を出迎え、部屋に入れると早速クローカが身に纏ったドレスを眺めた。
「うん、やっぱり良く似合ってる。素敵だよ。クローカ」
「あまりじろじろと見られては流石に恥ずかしいのですが…」
ロイスは時々クローカへ、いつものブラウスとスカート以外のコーデを指定するのだがそのたびに同じやり取りをしている。
「良いじゃないか、本当のことなんだし。クローカはどんな色の服も似合うけど、やっぱりこの色が一番綺麗だね」
「さすがはリリスの月夜の君、ですか?」
「あれ、知ってたんだ」
ロイスが少し意外そうな表情をしていた。クローカはあまり周囲に関心を持たないので自分につけられた異名にも気づいていないと思っていた。
「これも遊学の成果かな…」
ふふ、とロイスが笑うと照れたようにクローカはそっぽを向いてテラスへ歩き始めた。
カツン、カツンとヒールの音を響かせながらクローカはロイスへ問いかけた。
「月夜の君、ですか」
「服の色がそうだから、と侍女たちが言って いましたが…本当にそうなのでしょうか」
「どうしたんだい?」
「愛想もありませんし、服も暗いしあまり好かれていないと思っていました。 でも改めて城の者の様子を見てみると…」
開け放たれた窓に手をかけ、彼女は振り返った。
「こんな私でも親しみを持ってくれるんですね。こんな思いをして良いのかわかりませんが、なんだか嬉しいです」
ふわりとクローカが笑みを浮かべると窓から風が吹き込んできた。
舞い上がる花びらに、クローカの笑顔。
これをきっかけに、クローカは城の者と親しくなれるだろうか。喜ばしいことではあるけれど、自分以外にこの姿は見せたくないな。
複雑な表情を浮かべてロイスはクローカの笑顔を見ていた。
「…僕としては、今のままが良いんだけど」
ぼそりと呟いたけれど、クローカには風の音で聞こえていないようだった。
二人がテラスのテーブルに着くと、ロイスが城のシェフを呼んだ。
「そろそろランチも出来てるよね。出来たら持ってきてくれるかい?」
「かしこまりました。ちなみに本日は…」
「あ、ダメだよ、内緒なんだから!」
「あはは、失礼いたしました」
「もう、彼はせっかちなんだから」
頬を膨らませてロイスが呟いた。
「ふふふ、そう仰らずに。ロイス様が特別に 手配してくださったんですね」
「もちろんさ。楽しみにしていてね」
ロイスとクローカがしばらく話をしていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「ロイス殿下。昼食のご用意ができました」
侍女が持ってきたのは大きなティーワゴンだった。
ロイスとのランチの時はいつもアフタヌーンティーだ。ロイスが言うような「特別なもの」のようには思えず、クローカは首を傾げた。
「いつもと同じ?って顔をしているね。でもよく見てごらん」
侍女がケーキスタンドをテラスに運び改めてスタンドの中身を見てみると、たくさんのエディブルフラワーがあしらわれまるで宝石箱のようなデザートやサンドイッチが並んでいた。
「凄い…こんなに色とりどりで…」
「でしょ?テラスに咲いてるバラの花びらも 使ってるんだよ。さあ、ランチにしよう」
1段目に並ぶサンドイッチ。
たっぷりのサラダが挟まれたものもあれば、花があしらわれたパンに美しく並ぶフルーツが挟まれたものもあり、目でも楽しめる一皿だ。
「なんというか…気合の入った一皿ですね」
「あはは。シェフも普通のサンドイッチじゃやりがいがないから…っていつになく張り切ってたよ」
二人は思い思いのサンドイッチを手に取った。
「うん、美味しい」
「美味しいですね」
二人が舌鼓を打っていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「あれ?誰だろう」
「出て参ります」
クローカが扉の方へ向かうと、先ほどの侍女の声がした。
「あの…ロイス王子とクローカさんにお茶をお持ちいたしました」
お茶はシェフが見立てているはずだが、きっと何か思うところがあってここまで持ってきたのだろう。好意に甘えて紅茶を受け取った。
「あの、こちらは…庭園のバラとエルダーフラワーを加えたお茶です。スコーンにとっても合うので、よかったらお試しください」
缶を開けてみると、バラとエルダーフラワーの甘く爽やかな香りが漂ってきた。やり取りに気づいたロイスも興味があるのかクローカの隣へやって来た。
「なになに?フレーバーティー?
いい香りだね。葉もいいものを選んでる」
「ロ、ロ、ロイス王子…!!」
ロイスの部屋を訪ねたのだから彼がいるのは当然のことなのだが、王子自ら声をかけるとは予想していなかったのだろう。
侍女は心の底から驚いた様子で紅茶の缶をクローカへ渡し、
「失礼いたします!」
とパタパタ音を立てながらロイスの部屋を後にしてしまった。
「そういえば…彼女は先ほどお話しした、私のことを”月夜の君”と呼ぶ方でした」
「そうか、それじゃあ今まで悪い方に誤解させてしまっていたお詫びかもしれないね」
軽くウインクをしてロイスは続けた。
「ねえ、クローカ。サンドイッチももう食べ終わるし、このお茶淹れてみようよ」
「そうですね。お淹れします」
「わあ、クローカが淹れてくれるの?嬉しいな」
クローカは部屋に設けられているキッチンへと向かい、紅茶の用意を整えた。
ガラスで出来たポットに湯を注ぎ、蓋をしてロイスの元へ運ぶ。
二人で葉や花びらが開くのを待っていると、次第に紅茶や花の香りが広がり、自然とロイスとクローカの顔もほころんだ。
「この紅茶はとってもいい香りだね」
「ええ、彼女たちが作ったそうなんですがとても優しい香りですね」
紅茶をそれぞれのカップに注いだところでロイスとクローカは2段目のスコーンに手を伸ばした。
「このジャム、庭園のバラですよね。香りも良くて美味しい」
「クロテッドクリームとも合うね。リリスらしいし、いっそのことリリス王家 御用達にしてもいいんじゃないかな」
「それはちょっと…」
ケーキスタンドの2段目が空になると話題は3段目を彩るケーキに移った。
「見てよクローカ。ケーキも花畑みたいだね」
「すごい…」
ピンクや黄色といった可愛らしい花が散りばめられたタルト。
ブルーや紫の花びらが浮かぶゼリー。
暖かな日差しを受けて、どれもキラキラと輝いている。
ロイスの予想通り、クローカは青い花があしらわれたゼリーに目を奪われていた。
「コーンフラワーって言うんだって。花言葉は”優美”とか”信頼”だったかな。クローカにぴったりだね」
「それはもったいないお言葉です」
「…連れないなあ」
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他愛もない話をしていると、ロイスは何かを思い出したように書斎に行き、一冊の資料を持って来た。
「そうそう。明後日からルインへ視察へ行くよ。3日間くらいかな」
「かしこまりました。…もっと早く思い出してください」
「あはは、ごめんごめん。ルイン政府への手土産、リリスのスコーンセットにしたらいいんじゃないかな」
「あちらの食事様式はリリスと大きく異なるそうですが」
「じゃあ合わないかもしれないのか、残念」
しょんぼりと肩を落とすロイスの様子に、クローカはくすくすと笑い声をあげた。
「ロイス様…そんなにルインへリリスの文化を持ち込みたいのですね」
「未来都市と言われているからね。リリスのアンティークな文化は向こうの民にどう映るのか、反応が見たいんだ」
ケーキも食べ終わり、ケーキスタンドを片付けさせると、ルイン視察についての打ち合わせに入った。
ルインへの移動は半日かかるため、実質の滞在は2日分といったところか。
視察の目的は、リリスとルインの交流。
未来都市と言われるルインの衣装はシンプルで、本来であればパテールのコーデの方が親和性が高いと思う。だが、ルインはリリスを最初に指名したのだ。
何か裏があるのかもしれないが、初めから疑うのは良くないというのがロイスの意見だ。その姿勢は少々甘いのではないか、とクローカは考えているが、ロイスには自分の意思を曲げるつもりはないことをよく理解しているため、反論することはない。
「それでは、保存もききますしバラとエルダーフラワーのお茶にしましょう」
「そうだね、自分で飲んでもいいだろうし」
その言葉を皮切りに、二人は視察の準備を始めた。
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視察当日。
コーデグランプリの準備はニーズヘッグに任せ、ロイスとクローカは空港へ向かった。
パテール連邦やノーザン王国には飛行機があるが、リリス王国では導入していない。今回はルインから招待されていることから、ルインの飛行機で向かう予定だ。
「ルインの科学技術はカルファの魔法を超えているらしいよ。どんな飛行機が来るのか楽しみだね」
少し目を輝かせて、ロイスがクローカに話しかけた。
「そうですね。ルインは未来都市とも言われていますし、人々の服装も我々とは随分違うそうです」
「ルイン風のドレスのデザインも勉強して帰らないとね。うん、楽しみだ」
うんうん、と頷きながらロイスは答えていたが、ふとクローカの方を見て微笑んだ。
「ルインのドレスをデザインしたら君は着てくれるかい?」
普段のクローカであれば、表情を崩さずこう言うだろう。
「それがご命令でしたら」
ロイスがクローカに雲上やカルファの豪奢な衣装を着せようとすると、決まってそう返されていた。
リリスらしい、ふわふわとした甘い夢をイメージしたドレスを着せようとした時もそうだった。ただ、リリスのドレスを見せた時は、他の国の衣装より少しだけ拒絶の意思があるように見えた。
ロイスがクローカに着せたいドレスはある程度見当をつけているらしく、彼の自室にあるウォークインクローゼットの一角は様々なデザインのドレスがディスプレイされているそうだ。
全てを見通した上でロイスは問いかけていたが、ルインへの視察が楽しみだったのか、クローカの反応はいつもと違っていた。
「ロイス様デザインのルインコーデはとても珍しいでしょう?楽しみにしていますね」
心なしかクローカが期待を寄せているように思え、ロイスは一層目を輝かせた。
「本当かい?それじゃあ、君のためのドレスもデザインするよ。もちろん、モデルはクローカ。君以外はありえないからね」
「それは…考えておきます」
いつもの調子でやり取りをしていると、遠くに聞こえていた轟音が近づいてきた。
「そろそろかな。パテールやノーザンと違って、ルインの飛行機はちょっと変わってるんだよね」
「機体の仕組みが違うのでしょうか。動力源も確かルインだけは少々異なっていますね」
「うん。パテールが何度か技術支援を依頼したそうだけど、それだけは…って頑なに断られてる。パテールのサクラ嬢が嘆いていたよ」
パテールは「現代科学技術の上に築かれたモダン国家」と評されている。
そのパテールが羨むほどの技術だ。たとえリリスに伝えられたとしても、リリス国民には使いこなせないだろう。
「そういえばパテールの飛行機は近づくとすぐに音で分かるのですが…」
音が聞こえる代わりに、独特の近未来的なフォルムが見えてきた。
クローカの言う通り、パテールの飛行機はある程度姿が見えるより前に独特な轟音が聞こえて来る。けれど、ルインの飛行機はエンジン音が聞こえてこない。さすがルインの科学技術、といったところだろうか。
空を滑り降りるように飛行機が降り立つと、不思議な音を立てて扉が開いた。
どんなコーデの者が出迎えるのだろう。
ロイスとクローカは、緊張した面持ちで扉から現れる影を見つめた。
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ふと、扉から地面へ向かって光り輝く階段が現れた。
どう考えても現実に存在するはずがないのだが、現れた2つの人影はヒールの音を響かせている。
「さすがに仕組みが分からないね…」
ぽつりとロイスが呟いた。
降り立ったのは、2人の女性。
同じデザインの色違いのドレスを身に纏い、2人揃ってロイスとクローカに握手を求めた。
「ルインアイランド、外務省、外交官。私はニルヴァーナ。彼女はサンサーラ。ニナ、サラとお呼びください」
「ニナとサラだね。よろしく。もう知ってると思うけど、僕はロイス。こっちはクローカ」
軽く握手を交わすと、ニナはロイスの、サラはクローカの手を取った。
「ロイス様、クローカ様。どうぞこちらへ」
ニナが光の階段の手すりに手をかけると、風がふわりとロイスとニナの身を包み二人の身体は少しだけ浮き上がった。
「こ、これは…随分と不思議な階段だね」
「私とサラが来ているドレスは飛行機とリンクしているのです。このドレスを着た者でないと、この飛行機は動かせません」
確かに、ニナとサラが着ているドレスは他のルインの服とは少々デザインの趣向が変わっている。
オパールのように輝くニナ。ルビーのように輝くサラ。
二人の背中と足元にはホログラムの翅がある。
浮いているから見えているのか、
見えているから浮いているのか…。
仕組みこそわからないものの、どこか不思議な魅力のある装いであることは間違いなかった。
ニナ、サラに導かれながらロイスとクローカは階段を上ったが、二人の足音が響くことはなかった。
ニナとロイスが階段の頂上に立つと、ニナが扉に手をかざした。
その手がちょうど触れるあたりを起点に風のような不思議な音を伴って扉が開いた。
開いた、というより溶けて無くなった、という方が正しいかもしれない。
「結構リリスってアナログだよね」というニキの言葉通り、ロイスとクローカにとってルインの技術は想像をはるかに超えていた。
「ニナ、扉が…」
「はい、認証に成功したので…。それが何か」
何でもない、と答える代わりに小さく首を横に振り、ロイスは船内へと入った。
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すたすたと先を進むニナとロイスに比べ、サラとクローカは周囲の機器について話しながら船内を進んでいた。
「あの計測器は何をしているのですか?」
「あれは、船内の気圧。こっちは酸素濃度。サラたち、クローカ様たちと違って酸素がいらない。だから、いつもこうして見ておかなくちゃいけないのです」
酸素がいらない…?
クローカは考え込むように、顎に指を添えた。
…彼女たちは、人形?
陶器のような質感の肌。
ガラスのように淡く輝く瞳。
銀糸のように光を帯びる髪。
言われてみれば、そうかもしれない。
でも、確信が持てない。
ルインの技術をもってすれば、ニルヴァーナとサンサーラのような機械人形を作ることは容易だろう。ルインへの案内役として、道筋をプログラムしていればその通りに彼女たちは動くだろう。しかし、彼女達は自立した考えを持ち、何より性格が違う。ニルヴァーナは落ち着いた性格で、サンサーラは活発な性格をしている。
それもプログラムだと言うなら、ルインの技術力はリリスをはじめとする各国から飛び抜けている。
一体どこから生まれて来た技術なのだろう。あまりに自分の常識からかけ離れていることもあり、思わず本音が零れてしまった。
「二人は、一体…」
その声が聞こえたのか、クローカを先導していたサラは、赤く輝くスカートをふわりと翻しながらクローカに向き合った。
「ニナとサラだけの秘密です」
サラはいたずらっぽい笑みを浮かべてクローカの唇に指を当てた。
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機内の通路を抜けて、客室へ到着した。
隣の部屋にも誰かが乗っているようで、ドア横にあるインターホンの上に明かりが灯されている。
「この部屋がお二人の部屋です」
「ニナとサラはあちらの部屋にいます。何かあったら電話してください」
向かいの部屋にになとサラは消えていった。
「…同じ部屋で良かった?」
「構いませんが…どうしてですか?」
クローカと同室に滞在することは二人にとってはそれほど珍しくない。
ただ、普段滞在するのはホテルの客室や他国の城の一室であり、狭い部屋で二人で過ごすことはあまりなかったのだ。
「殿下の護衛ですから、いつもと変わりませんよ」
「そ、そうだけど…」
扉の前で押し問答をしていると隣の部屋のドアが開いた。
「騒がしいわね…何か用?」
鈍く輝く紫の髪。
全てを射抜くような鋭い目。
一度見れば忘れることのない、その姿。
「あ、アイリ女王…!」
ルインへの視察は他の国も同時に行うと聞いていたが、まさかカルファが参加すると思わなかった。
「あら、リリスの王子じゃない。コーデグランプリの準備はいいの?」
「あぁ、リリスの首相は有能だからね」
簡単に挨拶をしていると、アイリはクローカに目を向けた。
「彼女、あなたの従者?」
髪の色から靴の色まで、彼女を品定めするかのように見つめると、アイリはロイスに声をかけた。
「彼女の名前は?」
「クローカ。それが何か」
少しだけ緊張気味にロイスは答えた。
アイリ率いるアイアンローズは、大陸の至る所で優れたデザイン画を盗んでいるという。確かニキの友人、雲上帝国のリンレイはデザイン画や自身の営む絹工房の作品も盗まれたらしい。マーベル大陸でデザインを盗むということはデザイナーの生命、人生そのものを盗むということに値する。
そんなアイアンローズのすることだ。人の大切なものを盗むことは容易に想像がつき、ロイスにとって大切なものはクローカ他ならない。
クローカももちろんそれを知っており二人はアイリを警戒していた。
「まあいいわ。ロイスの従者のあなた…クローカといったわね。リリスのドレス、あんまり好きじゃないでしょう?」
予想外かつクローカの心を見抜かれているような問いかけに、彼女は息を飲んだ。確かにクローカはシンプルで落ち着いた色が好きで、良くも悪くもリリスらしくないコーデばかりと言われることがよくあった。ロイスはそんなクローカのために、いくつかドレスをデザインしたこともある。「紫檀」はその代表作とも言えるだろう。
そして、クローカはカルファのドレスに心惹かれたことも何度かある。流石に引け目があったので、ロイスにも言えなかったが。ひょっとするとアイリの発言には根拠はなく、カルファの豪奢なドレスはどんな女性からも支持されるという絶対的な自信があるのかもしれない。
「カルファのドレスの方が好みなら、アイアンローズへいらっしゃい」
アイリはクローカにそう告げて、自身の部屋に入って行った。
その様子を見届け、ロイスとクローカも部屋に入った。
部屋の光景が目に入った途端、あまりの非日常感にアイリ女王との会話はどこかに飛んで行ってしまった。
「わぁ、こんな装いの部屋は初めてだね」
「ええ、何というか…未来的、と言うのでしょうか…」
中はシンプルな作りだった。白く流線型をしたデスクやベッドが印象的で、テーブルの上には1台の円筒形をした機械が置かれている。
「これは何だろう?」
「きっと何かの機械だと思うのですが…」
二人で機械をつついたりしていると電源が入ったようだ。中からホログラムの少女が映し出された。
「ようこそ、私はこの部屋を担当するアリエス。この部屋のことで何かあったら声をかけてください」
「わかった。ありがとう」
「私はアリエスと呼びかけられることで起動します」
「呼べばいいのですね」
「お二人の会話の録音や録画はプログラムされていません。どうか安心してください」
マニュアルのように自身の説明をするとアリエスは消えてしまった。
「…変わった機械だね」
ロイスが呟いた。
二人がソファに座ったところで、アリエスとは別の少女がホログラムとなって現れた。
「この飛行機は間も無く離陸します。安全のため、皆様椅子にお掛けください」
彼女が安全上の注意を一通り説明すると、
「それでは皆様。ごゆっくりお過ごしください」
そう言い残してホログラムは消えて行った。
これから半日、二人の空の旅が始まる。
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半日と聞くと長く感じていたが、飛行機に備えられた機械の操作方法を確認したり、時折訪れるニナやサラの相手をしていると、すぐにルインアイランドに到着した。
「ニナ、サラ、ありがとう。おかげで楽しかったよ」
「お褒めのお言葉、光栄です。こちらこそ、たくさんのリリスのお話をありがとうございました」
「ニナもサラも、いつかリリスへ遊びに行きたいです」
ニナもサラも、最初は社交辞令のように会話していたが、今のはきっと心からの言葉だろう。この半日一緒に過ごすことで、ロイスは何となくニナとサラの感情がわかるようになっていた。
そんなほのぼのとした空気を切り裂くかのように、凛とした声が響いた。
「ぐずぐずしてないで、早く行くわよ。ルインアイランドは案内人が必須なのだから」
少し苛立ったように、飛行機から遅れて降りてきたアイリがロイスに声をかけた。
ルインアイランド。廃墟の上に築かれた近未来都市。
島内はいくつかのエリアに分かれており、ルイン中央部に行くには廃墟エリアを通過しなければならない。それには案内人が必要なのである。
ニナやサラは島内の案内人ではないそうだ。
彼女達は飛行機の動力制御を行うため、フライトがない日は空港で過ごしている。休暇でルイン中央に行く時には、彼女達も案内人に連れて行ってもらわなければならず「面倒」と嘆いていた。
空港から都市部への移動は、宙に浮く不思議な乗り物だった。
形状は列車に似ており、一等客室、二等客室、三頭客室と車両が分かれている。
「案内人っていうのは、この列車の運転手のことかな」
「そのようですね。あ、あちらから来る方がそうでしょうか」
自転車のような奇妙な乗り物に乗って一人の男性がやって来た。
「カルファ王国、アイリ女王。リリス王国、ロイス王子。ようこそルインアイランドへ。皆様をルイン都市部へご案内いたします」
一等客室に案内されると、その部屋の作りは飛行機と同じものだった。
「あら、中はさっきの飛行機と同じなのね。つまんないけど勝手がわかりやすいわ」
きょろきょろと辺りを見回すアイリ。一方でロイスとクローカは、大きめのソファに二人で腰掛け、部屋に備えられたホログラムの少女との会話を楽しんだ。
「君はアンジェリカと言うんだね。さっきはアリエスが担当してくれていたんだ」
「彼女は羊を模していましたが…貴方は兎なのですね」
ルインらしい、機械のようなフォルムのスーツに身を包んだアンジェリカは、頭にウサギの耳を模した集音機を付けており、まるでウサギそのものだった。
「僕たちが知ってるリリスの小ウサギさんとは随分趣が違うよね」
「ルインのデザインは独特ですから。ロイス様、リリスの小ウサギとはどんなコーデをしているのでしょう」
「それはね…白くてもこもこ、ふわふわしたニットのワンピースだよ」
「もこもこ、ふわふわ…」
悪戯をするような笑みを浮かべてロイスはアンジェリカに「リリス式小ウサギコーデ」を描いて見せた。
「不思議なコーデですね」
アンジェリカは心底不思議そうな顔をしている。確かにルインのコーデは他国と全く違う素材でできているので、そう考えるのも無理はない。自然に着る者の体にフィットする素材や、ぱりっとしながらも透け感のある布地。アクセサリーにも利用できる機械。
できるだけたくさん、吸収して帰ろう。そしてクローカにとびきりのドレスをデザインしたい。
ロイスは一人のデザイナーとしてルインへの旅に期待を膨らませていた。